もうなんかさ〜

 

 

今さっき気づいたこと

です

坂口安吾「風流」(1952)で大好きな部分

風流の地盤は、強制に服する万全の用意、待望だ。己れを空しゅうするところに始まり、また、そこに終る。

(略すンです)

 この皿に鯛がある気持。その鯛を食べた気持。風流とは、そんなものだ。その気持の説明がいかに複雑難解をきわめても、それが果して文化であろうか。

 文化とは、要するに、実際に鯛を食べる生活が地盤でなければならぬものだ。それがうまいか、まずいか、という銘々の自由で偽らぬ判断が文化の出発であろう。鯛を食べた気持、という心境の解説がいかに複雑であろうとも、そんな文化はありはせぬ。

これなのですけどこれ以上読んでもなんか難しい…

私は坂口安吾について0.1ミリぐらいしか知らない堕落論ちゃんと読んでないんだです… 嫁や

 

ハイデガーの「気分」ぽくないですか!?!?!?!?!!?!?!?!?!?!?

いやハイデガーについてはまったく知らんくて…

前、誰かが気分はこうだよみたいな言ってたところからの想像やけど...

ほんで調べたら共通性みたいなやつ出てきたわ 気分かは知らんけど

尾張